追悼の辞
令和5年8月16日
日本人戦没者 慰霊祭の挙行に当たり、フィリピン在留邦人を代表し、全ての戦没者の御霊(みたま)に謹んで哀悼の意を表します。
ここフィリピンでは、先の大戦において、実に五十万人を超える日本軍将兵、二万人の民間人の方々が尊い命を落とされました。
フィリピン各地の戦闘で、或いは飢えに、或いは病に苦しみつつ、祖国日本、故郷、家族を想いながら 戦禍に散った方々は、いま私たちが見るこの南国の美しい空と同じ空を、山を、海を、花を見ながら、無念の死を遂げられました。このことに思いを馳せる時、改めて痛惜(つうせき)の念が胸に迫ります。
また、この戦禍により、日本人犠牲者に倍する 実に百十万人以上のフィリピンの方々が犠牲になったことも忘れてはなりません。
先の大戦が終わり、七十八年の歳月が流れました。昭和はすでに遠く、平成を経て、今は令和の時代となっています。
その間、私たち日本人の多くは、幸いにも平和を享受しております。
戦時下の恩讐を超えたフィリピンの人々の許しの心、そして我々の先人達のたゆまざる努力により、日比両国は現在の緊密な関係を築くことができました。
一方で、世界に目を向ければ、今なお戦禍の中で苦しんでいる人々がおられ、また新たな戦争の火種も身近に迫りつつあります。今こそ平和な世の中が続くことを切に願わずにはいられません。
今日このカリラヤの地で、ご遺族とご参列の皆様と共に、かつて かくも多くの人々の尊い血が流れ、幾多の犠牲が払われたことを、深く心に刻み、後に続く世代に永遠に語り継ぎ、日比両国の一層の相互理解と友好の礎とすることを、戦没者の御霊(みたま)の前で改めて誓います。
戦没者の皆様、どうぞ安らかに、お眠りください。
令和五年 八月 十五日
マニラ日本人会 会長 高野 誠司
ここフィリピンでは、先の大戦において、実に五十万人を超える日本軍将兵、二万人の民間人の方々が尊い命を落とされました。
フィリピン各地の戦闘で、或いは飢えに、或いは病に苦しみつつ、祖国日本、故郷、家族を想いながら 戦禍に散った方々は、いま私たちが見るこの南国の美しい空と同じ空を、山を、海を、花を見ながら、無念の死を遂げられました。このことに思いを馳せる時、改めて痛惜(つうせき)の念が胸に迫ります。
また、この戦禍により、日本人犠牲者に倍する 実に百十万人以上のフィリピンの方々が犠牲になったことも忘れてはなりません。
先の大戦が終わり、七十八年の歳月が流れました。昭和はすでに遠く、平成を経て、今は令和の時代となっています。
その間、私たち日本人の多くは、幸いにも平和を享受しております。
戦時下の恩讐を超えたフィリピンの人々の許しの心、そして我々の先人達のたゆまざる努力により、日比両国は現在の緊密な関係を築くことができました。
一方で、世界に目を向ければ、今なお戦禍の中で苦しんでいる人々がおられ、また新たな戦争の火種も身近に迫りつつあります。今こそ平和な世の中が続くことを切に願わずにはいられません。
今日このカリラヤの地で、ご遺族とご参列の皆様と共に、かつて かくも多くの人々の尊い血が流れ、幾多の犠牲が払われたことを、深く心に刻み、後に続く世代に永遠に語り継ぎ、日比両国の一層の相互理解と友好の礎とすることを、戦没者の御霊(みたま)の前で改めて誓います。
戦没者の皆様、どうぞ安らかに、お眠りください。
令和五年 八月 十五日
マニラ日本人会 会長 高野 誠司